今回のトップリーダーズインタビューは、株式会社 鴻池組の代表取締役会長兼社長を経て、現在は特別顧問 工学博士でおられる鴻池 一季先生にお話をお伺い致します。
まずは、簡単に生い立ちからお聞かせいただけますか。
----鴻池
1952年3月8日 大阪で生まれました。兄弟は姉が2人おりまして、私は一番下の末子です。
子供の頃はいたずら好きと言う事もあり、良く父親にはげんこつで殴られましたね。
また、礼儀作法、規律に関するしつけは非常に厳しかったです。
しかし、厳しい中にも母親が私によく言ってくれた「楽は苦の種、苦は楽の種」ということは後の生き方と経営にも大きな影響を受けていますね。
「鴻池一季」の「一季(かずすえ)」という名前のエピソードをお聞かせいただけますか。
----鴻池
はい。この「一季」の「一」に関しては、父親「鴻池藤一」から頂きました。
そして、「季」には、史記である「季札挂剣」の登場人物である季札のエピソードより「口に出さなくても、自分の心で決めたことは実行する」
という人間になって欲しいとの両親の思いが最後の1つには込められています。
今までの人生を振り返ってみると、自然とこの名前に込められた行動をしていた気がしますね。
学生時代についてお聞かせいただけますか。
----鴻池
高校時代は京都教育大学付属高校にて、勉学と剣道の両立に励んでいました。
その成果もあり、神戸大学に進学しましました。
大学では将来の事を見据え、土木に関する専門分野を選択し、研究に勤しんでおりました。
そして、大学卒業後はかねてから、海外での勉学にも大変興味がありましたので、アメリカ西海岸にあるカリフォルニア大学 バークレー校に入学し、
修士号を取得しました。その後、鴻池組での実務を経験した後、実務と学術の両方の目線での研究する事を目的に神戸大学にて博士号を取得致しました。
株式会社 鴻池組入社時にまつわるエピソードをお聞かせいただけますか。
----鴻池
私は卒業後、父親である鴻池藤一と大林芳郎が義兄弟という事もあり、現場を知る事が大切だという事もあったので、株式会社大林組にて研修を受けておりました。
私は鴻池組では取締役の立場であったので、職員としての期間はありませんが、大林組での研修中には偶然にも大学の同級生と同じ現場で働く事となり、
その同級生や現場の方には色々な面で鍛えられました。
卒業後、鴻池組の取締役に就任されたという事ですが、やはり、鴻池組を継ぐ事に対してのプレッシャーはありましたか。
----鴻池
はい。私の兄弟は男が私一人と言う事もあり、子供の頃から少なからず感じていましたね。
しかし、母親の「好きにやりなさい」との一言のお陰で鴻池組を継ぐ事に対する抵抗はありませんでした。
しかし、父親、母親の両方から継ぎなさいと言われれば、反発していたかも知れませんね。
.代表取締役社長時代はどのような時代でしたか。
----鴻池
私が代表取締役社長に就任させて頂いてからの18年間はバブル前とバブル時代の両方がありましたので、色々な経験をしました。
その経験というのはどのようなものでしょうか。
----鴻池
まず、建設業という業界自体が古く、企業体質に関しても古かったので、他の業界を見た時に比べると、経営する上で苦労しましたね。
また、代表取締役在任期間中にバブルの影響もあり、建設物価が高騰していたために公共工事の予定価格がコストに合わず厳しかったですね。
|