香港へ行かれたのは、どのようなきっかけだったのですか?
----戒田
湯川さんがアジア本部長の時、戒田が香港に向いてるというので、40で香港副支店長に。33で結婚したというのもありますが、40で初めて海外です。
湯川さんによる大抜擢ですね。
----戒田
香港で総括副支店長になると、普通1年半くらいで転勤するのですが、私は結局、5年副支店長に居座りました(笑)。
当時の国際担当の副頭取の樋口さんにかわいがってもらって、栄転の話も再三いただいたんですが、当時は日本の銀行が中国に進出し始めた頃で、駐在員事務所を出すために、本部の中国室の人たちと中国各地に出張しました。また、発展しつつあった深センに、中国銀行と、香港の東亜銀行、住友銀行、野村証券、アメリカのファーストインターステイトと一緒に、ファイナンスカンパニーを合弁で出すというときも、手伝っていたんです。それらが非常に面白くて、中国に居たかったわけです(笑)。おかげで、香港のトップリーダーたちと親しくなれました。
では、香港で最も印象に残っている方は?
----戒田
李嘉誠(リ・カシン)さんが印象に残っています。私が香港に来たとき、小さいが儲かっている香港支店を、もっと大きくて儲かる店にしようと思い、香港で一番の大金持ちから順番に話をしていこう、という方針を決めたんです。これが大成功で(笑)。
それで香港支店の取引先係長と一緒に出向いたのが、香港一大金持ちの、李嘉誠さんの会社です。初めて勧誘に行ってお会いできて、しかもすぐに食事に呼んでいただけて、すぐ取引していただいたんです。おかげさまでその後もずっと、李嘉誠の友達だというと皆に尊敬されました。
他には、ボンズグループ会長のアニータ・チャンさん、香港返還の時に為替のペッグ制度を作られた萬友貿易会長のシャオさん、中国の第1号の外資の事業をされたローコットインターナショナルのS.S.チャオさんなど、今も家族付き合いさせていただいている方もたくさんおられます。
香港の次には、ロサンゼルスに行かれたのでしたね。
----戒田
いえ、1987年から2年間、日本に戻って外国業務部長をしています。その次に、1989年から加州住友銀行取締役ロサンゼルス支店長を3年間。バブル最盛期ですね。ところが、向こうではほぼ、日本人、日系人、中国人のお客様としかお付き合いしていなかったんです。それで私は、住友銀行のアメリカのマーケットに対するプレゼンスを高めなくてはならないと思い、すぐに親日アメリカ人組織で日系企業のトップの方も多い、日米協会の役員に就任しました。そして、ロサンゼルスの文化の頂点に立つ組織であるミュージックセンターに、銀行から寄付をさせました。こうすれば、私の名前があちこちに出て、加州住友バンクをPRできるわけです。
わかりました、問題点が見えてきました。日本はいいものをかかえてるのにPR不足なんですね。外国の市場に発していくことができていないんですね。
----戒田
そうです、加州住友銀行はアメリカの銀行ですから、アメリカのマーケットで存在を示すべきです。これも、私は勝手にやっていたんですよ。いちいち上に申請すると口出しするから(笑)。日系人商工会議所の副会長もやりましたね。資金調達をして、日本に帰る時に立派な楯をもらいました。
では、ロス時代の印象に残っているお客様は?
----戒田
そうですね。ローンブローカー(不動産のディベロッパーの案件をまとめ、銀行と交渉する仕事)をしていた、hilary shackly(ヒラリー・シャクリー)氏がアメリカのベストフレンズです。黒人の、エール大学の法科大学院を出た超エリートのナイスガイで、当時彼は40歳くらいで、イエールファイナンスカンパニーの社長でした。この男と親しくなり、彼がいろんな楽しいことを私にアレンジしてくれました。市長と一緒にレイカーズゲームを観たり、とても楽しかったですね。もちろん私も融資で彼に儲けさせましたよ。
世界的に良い時代だったんでしょうね。時代が良かったから良い財界人がいっぱいいたのか、良い気質の財界人がいっぱいいたからいい時代だったのか、先生はどう考えられますか?
----戒田
やはり良い時代でしたね。明るくて、皆前向きで活発で。ただ、日本から来ていた不動産業の人の印象はいまひとつでした(笑)。だからほとんど融資してませんよ。
では、国際ビジネスの成功のカギは「明るくて前向き」?成功者の共通点をひと言で言うと何でしょうか?
----戒田
そうですね、やはり前向きでないといけません。やり手は皆、そういう人が好きですから。
トップの人の心をつかむのは、何だと思いますか?
----戒田
それはやっぱり、会話力でしょうね。英語の力もさることながら、お互いにフィーリングで話が出来ることが大事です。“mutually comfortable feeling”(お互いに心地よく、感覚で)で会話ができること。これは友達になれる一つの秘訣です。
人間力も必要ですね。片方の人が女の話をしていても、こっちは全然興味がない。これではダメなんです(笑)。
やはり人間力ですか。ロサンゼルス支店長から日本に帰られる時、認知症のお母様のことを考えて、出世を約束されていたのに日本に戻る決断をされたとのことですが、奥様もお誉めになるというその決断が、先生の人間力を証明しているように思います。
では最後に、21世紀の若手起業家に、先生からメッセージをお願いします。
----戒田
これからはグローバル化の時代です。そして、アジアで稼ぐ時代です。旺盛な好奇心で世の中を見て、自分で行動を起こし、それぞれの国で何が起こっているかを自分で確かめ、国際的な視野で考えてほしいと思います。こういうことは若い人にしかできません。アジアで友達をつくり、「国内と海外を結びつければそこに必ずビジネスが生まれる」という発想を強くもって、新しいビジネスを生み出してください。
本日は誠にありがとうございました。
(2010年8月23日取材)
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