今回のトップリーダーインタビューは、松下電器産業株式会社の社長、相談役を経て、現在は特別顧問の谷井さんにお話をお伺い致します。松下幸之助氏の志を継がれ、長年経営の最前線で活躍された経験からさまざまなお話を伺えればと存じます。本日はどうぞよろしくお願い致します。まずは簡単に生い立ちなどをお聞かせください。
----谷井
私は現在も住んでいる大阪府交野市私部で生まれました。昭和3年生まれですから、少年時代は自分の意志が通らない社会で育ってきた訳ですが、戦争が終わって人生が大きく変わりましたね。まさにそれは革命的な転換でした。でもね、自由になったからといって何でも自分の思う通りにいくものでもないんですよね。就職試験で落ちたりとか、いろいろ挫折も味わいました。でも長い人生1回くらい挫折しても頑張らないといけない。その辺を最近の若い人たちは、はき違えているのではないかと感じることもあります。ちょっと違う話になってしまったなぁ(笑い)。
でも、まさにその通りだと思います。次に松下電器に入社されたきっかけなどを教えて頂けますか?
----谷井
私が兄のように慕っていた方から誘いを受けたんです。一度は断ったんですけど、二度目に誘われた時に、入ろうと決心しました。松下電器が急速に成長する時期でしたね。入社して最初は通信機事業部、そのあと録音機部門でテープレコーダの開発などを担当しました。テープレコーダ『マイソニック』を世に出しました。そしてその後がビデオ事業部です。
そこであのビデオ戦争が・・・・・・
----谷井
マスコミなどではそのようなセンセーショナルな言葉で煽りれましたが、やっている我々は夢中で仕事をしていたというだけです。後日談ですが当時のことをライバルだった他社の方と振り返った時に出た言葉は、「あの時は仕事上での青春だったなぁ」ということでした。競争意識はありましたけど、それは敵味方とか相手を蹴落とそうというものではなく、相手よりももっといいものを作ろうという争いでした。当時は海外のメーカーもビデオを作っていましたが、ビデオでは日本が圧倒的に強かったですね。
その理由はどこにあったとお考えですか?
----谷井
ひとつは、技術力が世界に勝ったということです。VHSにしろベータにしろ、日本メーカーのビデオに関する技術力が世界で群を抜く存在になり、トップに立った。ふたつめは、競争があったからだと思います。いい形での競争は人類を進歩させるんですよ。いいものを早く出そうという競争があり、どんどん技術が進んでいきました。3番目の理由は、これはVHSがベータに勝った理由にもなりますが、それは仲間と上手に協力し合ったということですね。松下幸之助も常々『競争と協調』の重要性を説いていました。まとめるならビデオの開発においては、競争と協調があり、それが技術を大きく進歩させたということになります。 |