今回のトップリーダーインタビューは、関西電力で45年間勤務なさり副社長を歴任され、最近ではきんでん会長、関西国際空港会長として、長年関西財界のトップを走って来られた宮本さんにお話をお伺い致します。本日はどうぞよろしくお願い致します。まずは生い立ちから簡単にお聞かせください。
----宮本
実家は京都と奈良の間にあり、昔でいう庄屋の家柄でした。3人の姉がいて、ようやく生まれた長男が私だったのですが、「男の子は甘やかせて育ててはいけない」という教育者だった母の考えのもと、小学生の時から汽車で通学していました。要は放り出されたようなもんですけどね。学生時代はスポーツばかりしていましたよ。大学は1年浪人して京大へ入りました。
京大出身ということ自体が優秀なのでは?
----宮本
実は現役の時、落ちるとは思っていませんでした。模擬試験でも常に上位クラスでしたから。しかし、自信があった数学の第1問目でつまずいたことが原因で結局落ちてしまいました。その後、1年浪人した経験が私の人生にとって非常に大きな糧となりました。やはり人間挫折が必要ですね。
そうですね。京大での学部は?
----宮本
電気です。学校の先生をしている叔父から、「お前は国語があかん、数学はエエな。それやったら理科系やろ。でも理科系にいっても飯は食えんやろ。これからは電気の時代や!」というアドバイスを受け、素直に電気を選びました。
電気を学ばれたので、関西電力へ就職されたのですか?
----宮本
当時は大体教授の推薦があれば採用してもらえた時代ですからね。でも大学でバスケットボールばっかりやっていた私はかなり危なかった。6人中1人は落ちると言われていて、それは私だろうなぁと確信していたくらいですよ。
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