今回のトップリーダーインタビューは、現職の衆議院議員で長きに渡って国政の場でご活躍中の愛知さんにお話をお伺い致します。本日はどうぞよろしくお願い致します。これまで本コーナーでご紹介した経営トップの方々のお話とは、またひと味違った観点からのお話が伺えるのではないかと期待しております。まずは政治家になられたいきさつなどをお聞かせください。
----愛知
生まれたのは東京ですが、戦争の大変な時期でしたから小学生の頃はあっちこっちに疎開してました。戦後は東京に戻り、日比谷高校から一年浪人して東大へ進みました。そして日本鋼管へ入社。新入社員の頃は川崎の工場の現場、みんな最初は現場ですからね。その後は営業、ニューヨーク支社、日本に戻って輸出部に勤務しました。
政界進出は元々考えていらっしゃったんですか?
----愛知
いえ、考えていませんでしたね。義父(故・愛知揆一氏)からも「政治家は大変な仕事だから、家庭のある君に無理に後を継げとは奨められない」と言われていました。ただ義父が大蔵大臣になった時、自分の世界を広げるいい機会だから、会社が認めてくれるなら秘書をしてはどうかと提案されて、会社の許可が出たので休職して秘書官を務めていました。でも結果的には、大蔵大臣在任中に義父が急死して、後を継ぐ形になりましたが・・・。
どうでした、その時は?
----愛知
正直、怒濤のように過ぎた時間でした。人生が180度変ってしまったような感じで。しかも田中さんの逮捕等、いろいろな意味で自民党が大変なときでもありましたからね。後を継ぐことを決めて会社を辞めたんですが、3年選挙がなかったんですよ。その3年間は心身共によく耐えられたなと今考えても思います。1976年の選挙で当選して、政治家としての本格的な活動がスタートしました。
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