株式会社 M.I.E.コーポレーションがお送りする財界の著名人を対象としたトップリーダーインタビュー

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[トップリーダーに学ぶ ]
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信用を守り、人を育て、企業を継続的に発展させることを
志しある若き経営者諸君に期待します。
メッセージムービー
戦後すぐ日本の国際化を意識ハーバド大で最高の教育を受ける

QUESTION今回のトップリーダーインタビューは、大和ハウス工業株式会社で常務取締役を務められ、特に海外関連の分野でご活躍になられた河合さんにお話をお伺い致します。最初にお聞きしたいのは、海外での教育を受けられた点ですが、失礼ながら、当時は非常に珍しいことだったんではないでしょうか?
----河合
 そうですね。私は子どもの頃に怪我をして軍人にはなれなかったので、戦時中はエリート的な教育を受けられる立場ではありませんでした。戦争が終わり、これからの日本は世界と渡り合っていかないといけない、国際化していくしかないということを確信的に思いました。

QUESTIONそれでハーバード大へ行かれたのですか?
----河合
 まさか、そんな簡単なことではないですよ。まず語学を勉強し、その後、海外で教育を受けたいと考え、アメリカのニコルス商大へ行きました。そこに入った時はあまりいい成績ではありませんでしたが、毎日50個単語を覚えるということを続け、半年後に成績は一番になりました。

QUESTIONそれはすごいですね。
----河合
 お金もないので働きながら勉強していましたから、睡眠不足で朝も昼もわからなくなるくらいのこともありましたが、とにかく一生懸命に学んで、トップの成績で卒業しました。そんな姿を見ていてくれた近隣の事業家でハーバード卒の方から、卒業した時に『ハーバードへ行ってみないか?』と誘われたんです。そんな大それたことは無理だと思って断ったら、『私を信じなさい。ハーバードへ行けば、得るものは計算できないよ。』と言われました。

QUESTION確かに行きたいと思って行けるところではないです。
----河合
 もちろん、試験は受けないといけません。私自身、まさか合格するとは思っていませんでしたが、受かったんですよ。ハーバードの教育はとにかく超一流でした。学んだ内容もそこで得たコネクションも本当に計り知れないものでした。卒業時には28歳。当時ではかなり長い間学生であった訳ですが、その分長生きすればいいだろうと考えました。

QUESTIONやはりそれだけ学んだことは、その後にも役に立ちましたか?
----河合
 もちろんです。チャンスに恵まれて、ハーバードに行けたことは本当に良かったし、私のビジネスキャリアの中でも大きく生きたことだと思います。

PROFILE
1930年生まれ
1954年 米国・ニコルス商大卒業
1958年 米国・ハーバード大学経済学部卒業
1967年 カナダ・パンフ高等経営スクール卒業
その後、ノースアメリカ保険会社新種保険マネージャー、在日カナダ大使館主席商務官を経て
1970年 大和ハウス工業株式会社入社、同年企画部長兼海外室長
1971年 取締役
1976年 常務取締役
1989年 常任顧問
1997年 大和団地常任顧問
2001年 退任
その間、カナダ・カルガリー大学客員教授、米国・テキサス州立オースティン校IC2 Institute 客員教授を務める。
元大和ハウス米国子会社(4社)役員、同ブラジル合弁会社役員、同フィリピン合弁会社副社長、大阪ガス顧問、大阪コンベンションビューロー特別顧問
クイック.ロック.ジャパン株式会社 取締役
社団法人家畜改良事業団 相談役
社団法人日本ホルスタイン登録協会 相談役
静岡県浜松市サポーター委員

[趣味]旅行、読書、乗馬、音楽
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