今回のトップリーダーインタビューは、丸紅で副社長を務められ、関西経済連合会などの重職も歴任され、豊富な海外経験もお持ちの橋本さんにお話をお伺い致します。まず、簡単に生い立ちを伺いたいのですが?
----橋本
私は大阪の四條畷、飯盛山のすぐ近くで生まれ育ちました。私の小さい時は戦時中で、陸軍幼年学校に進みたいと思っていました。
やはりそういう時代だったからでしょうか?
----橋本
当時の教育もあったのでしょうが、四条畷と言えば、小楠公(しょうなんこう、楠木正行)さんなんですよ。南北朝時代の名将・楠木正成の嫡男で、自身も四条縄手合戦で足利軍と激戦の末、戦死した人物で、四条畷神社に祀られています。そういう風土に育った影響でしょうね。終戦になり、そういう道に進むことはなかったですが、信念を持って生きるという気概のベースにはなっていると思います。それに、今でも国を愛する心は持っています。
現在も日本経済、関西経済のためにご尽力なされている、橋本さんのお人柄に表れていると感じます。
----橋本
年はとってるけどね、これからビジネスを引っ張っていく人たちのために、何かの役に立ちたいと思っていますよ。だからね、いろんなところで発言を求められたりすることにも、決しておろそかにはしないようにしていますよ。
関西経済界を代表する論客として知られる橋本さんですから、そのように期待されている部分も大きいと思います。
----橋本
これからの世代のために何かできることをきちんとやっていかないといけないでしょ。50年前も変わらない話と、5年経てばコロッと変わってしまうことがある。自分の信念と現在の状況を捉えて、責任ある発言をしないといけないと考えています。
橋本さんが丸紅に就職された理由は何だったのですか?
----橋本
海外に住みたいと思ってたんですよ。外交官になるには東大くらい出ておかないとなれないし、商社なら海外に出るチャンスもあるだとろうとね。結果的にはニューヨーク、香港、ロンドンと計17年間の海外生活をしてきました。
日本と海外でのビジネスの違いというのはお感じになられましたか?
----橋本
細かいところではあるけれども、根本的には、世界中どこへ行っても大切なのは人間性だと思います。言葉ができればいいということではなく、やっぱり言葉よりも心。人間ね、どこへ行っても人間なんですよ。
丸紅で一番影響を受けた、もしくは印象的だった人物などはいらっしゃいますか?
----橋本
私が入社した当時社長だった市川忍さんですね。小柄だったけど、懐の大きな方でしたね。入社して初ボーナスの支給の時、社員の前で「ボーナスは会社から与えられるものではなく、自分でつかみ取るもの。しっかり儲けてくれれば、ボーナスもしっかり出すよ」とピシッと仰ったことは、よく覚えています。丸紅を育てたといえる人物で、大阪商工会議所の会頭までなされた方です。
関西経済をリードなされた存在でもあった方なんですね。当時は関西経済も今のようなことはなかったでしょうし…
----橋本
今はね、あまりにも東京に一極集中してしまっていることが問題です。行政とのやり取りが東京でないとできないですからね。でも、そういう壁を越えて、関西経済を盛り上げていくのは経営者の方々の力次第でしょう。“東洋のマンチェスター”と言われるような存在になることを期待しています。
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