今回のトップリーダーインタビューは、松下電器でご活躍なされ、副社長も務められた水野さんにお話をお伺い致します。松下電器にご入社なされたきっかけなどを簡単にお聞かせください。
----水野
私は昭和4年生まれの戦中派で、広島の出身です。私の人生には原爆というものが、いろんな意味で人間観、人生観に大きく影響しています。物理学に興味を持つようになったのも、こんなにすごい爆弾がどうしてできたのか、という考えを持つようになったからです。それで物理を専門に勉強しようと決め、京都大学に進みました。丁度、湯川さんがノーベル賞をもらった頃で、素粒子論が注目を浴びていたのですが、私はあまのじゃくで人がやらないことをしようというところがあるんですよ(笑)。それで固体物理学を専攻したんです。当時は、就職を自分で探すというより、企業の方から大学の教授のところに頼みにくるという風潮で、松下から来ていた求人に私が手を挙げたというわけです。
どうして松下が物理学の教室に?
----水野
フィリップスとの提携をする頃だったんですよ。それで理論がわかって、技術を支えていける人材が必要だったんじゃないでしょうか? でも実は就職するまで、松下のことなんて知らなかったんですけどね(笑)。それで入社した年の秋に、正式にフィリップスとの提携が決まりました。結果的に考えると、これが松下幸之助の人生の大きな決断だったんですね。
それはどうしてですか?
----水野
それによって世界最先端のエレクトロニクス工場が誕生したわけですからね。私が幸之助さんの大決断だと考えていることが3つありまして、ひとつがこのフィリップスとの技術提携、そして販売体制を立て直した熱海会談、もうひとつが自分の引退する時期を決めたことです。その中でも一番大きかったのがフィリップスの提携だったんじゃないでしょうか。
やはり企業トップの決断というのは重要なことなんですね。
----水野
特に日本はそうなんじゃないかなと感じます。タテ割りの家族主義的均一社会では、いいものを作ろうとトップが決めて、ハッパをかければいいものを作れるんです。そしてそれを頑張って売ろうと決めれば、売れるんですよ。リーダーたちがしっかりと、こうしていこう、という方向を示してあげなければいけいないんです。上がしっかり儲けるための方針を持っていなければ、下が儲けられるわけがない。そういう意味では山下さん(山下俊彦、元松下電器社長)は、決める人でしたね。昔はいい商品を作れば売れるというように決断するにも簡単だったのですが、山下さんの頃からはエレクトロニクスのコンセプトがわかりにくくなってきていた。それにも関わらず、勇気を持って決断をできる人でしたね。
松下幸之助さんや山下さんから、経営者として学ばれたことは何でしょうか?
----水野
幸之助さんは、あれほど謙虚で人の意見を聞いて、人からとにかく学ぶ人はいなかった。「衆知を集める」ということですね。山下さんからは、やはり決断することでしょう。幸之助さんの決断、山下さんの決断があって、今の松下につながっていると思います。企業経営というものは最終的には、トップが進退を含めた責任を持って決断することで、組織も人も動いていくものだと思いますよ。
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