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今回の「近年上場企業経営者・ベンチャー支援者紹介」は、日本ベンチャーキャピタル株式会社で、未公開企業やベンチャー企業の株式公開を数多くサポートされている川真田さんに、これから会社を大きくしていこうとしている起業家の皆さんへ向けてのお話を伺いします。 |
----本日はお忙しいところ、ありがとうございます。世界的な金融不況が大変なことになっていますね。
サブプライムローン破綻からのアメリカの状況については、専門家の間ではある程度予測はしていたことなんですが、そのスピードがここまで急速だとは思っていませんでした。
----これからどうなっていくのかと考えると……ですが、そうも言っていられません。今回は川真田さんから若手起業家に向けて、株式公開を目指して頑張ろうと思えるような話を聞かせていただければと思います。
慶応大学の経済学部ご出身でいらっしゃいますが、学生時代から金融の世界で仕事をしようとお考えだったのですか?
いや、考えていなかったですね。高校時代はラグビー部、大学時代はヨット部に所属し、スポーツに打ち込む体育会系の人間でした。
----慶応ボーイで、ヨットって、セレブな家柄なんですか?
全くそんなことはないですよ。実家は普通のレベルの家庭ですし、ヨットはハードな男臭いスポーツですよ。海に出たら、天候次第でどうなるかわからない命がけな面もありますし。確かにお金は他のスポーツよりはかかりますけど、全部自分のバイト代で捻出していました。
----今もされていますか?
ヨットはあまりしていません、学生時代ほど時間に余裕もないので。ラグビーは、シニアの人たちのチームに入って結構やっていますよ。
----では大学卒業後、山一證券に入社された動機は?
私が就職する頃は、金融関連は給料がいいということで人気がありましたからね。たぶんそんなに深い理由もなく、金融関係を中心に受けていたと思います。
----どのような仕事をなされていたのですか?
東京では支店の顧客営業、大阪へ転勤して来てからは未公開企業向け営業をしていました。
----「未公開企業向け営業」というのは?
上場を目指す企業への法人営業担当で、IPOを進めていく上での主幹事証券会社となり、上場を達成することを目的とした業務です。基本的には飛び込み営業するスタイルで申告所得1億円以上のところを回っていました。当時(13〜14年前)はまだ上場基準がきびしかったですからね。
----新興市場がありませんでしたものね。
そうですね。それに上場することは非常にステイタスのあることであり、継続的に経営されてきた企業にしかできないというイメージがありました。
----その後、日本ベンチャーキャピタル(以下、NVCC)に転職なされたのは、上場や株式公開に携わる仕事を続けようと思ってですか?
山一が自主廃業しましたから、次に働くところを見つけないといけませんでしたから(笑)。実は大阪の山一とNVCCの場所が近くて、当時のNVCCの支社長が「うちにきてくれる人はいないか?」ということで声をかけにきたんです。この仕事を続けたいと思っていたので、丁度よかった、という感じでした。
----川真田さんには、この仕事が天職なんでしょう。
そうかもしれませんね。
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[略歴] |
1964年東京都出身 |
慶応義塾大学経済学部卒 |
山一證券(12年間)在籍時は、大阪店企業部4年を含め、主に未公開企業向け営業に従事 |
平成10年 |
日本ベンチャーキャピタル入社 |
日本ベンチャーキャピタル入社後は、関西地区での幅広いネットワークを活かして、有望投資案件の発掘を行い、「ダイトエレクトロン」「サイネックス」「ワッツ」「JIMOS」「ジェイエムテクノロジー」「セイクレスト」「SEED」「ビリングシステム」「成学社」等、公開実績を有する |
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