----本日はお忙しい中、お時間をいただき、どうもありがとうございます。早速ですが、川田さんの簡単な経歴、略歴などをお教えいただけますか?
昭和38年生まれで、今年で42歳になります。大学は学習院大学で、学生時代は応援団に所属し、応援団長をやっていました。大卒後は日本生命に就職しました。
---応援団長をなさっていたんですか。学生時代からトップに立つ才能があったと…?
いや、トップに立ってどうこうということより、応援団で学んだことで大きかったのは、「生涯、縁の下の力持ちでいよう」という考え方を持ったことです。自分が主役ではなく、頑張る人たちを応援する存在ですね。実際に力になる応援をするには、プレーをする選手と同様に、もしくはそれ以上に心身共に鍛えないとできない。本当の意味での「縁の下の力持ち」になるには、自分を鍛えることが必要なんだと痛感しました。それと私は「一騎当千」というのがポリシーで、自分ひとりでもたくさんの困難に向かっていける姿勢を貫きたいということを常々考えております。
----日本生命では、どのような業務に携われたのですか?
教育セクションに在籍し、当時約8万人いたセールスレディの教育部の一員として活動しておりました。そこで毎日のセールスに追われて疲弊し、生き生きと仕事ができていない女性の方をたくさん見て、何か自分にできることはないのかと感じました。
----まさに「縁の下の力持ち」の心が動いたということですね。それが独立なされる契機ですか?
例えば、そのような状況が、自分の親族を働かせる場として認められるものかと、自問自答した時にやはりそうではない、と感じて退社・独立を決意しました。また幼少の頃から、自分の両親が24時間家業のために働いているのを見ていて、商売の面白さと大変さなどを知りながら、いつか自分もやってみたいと思っていたことが素地にあったのだと思います。
----独立後はどのようなビジネスを展開されたのですか?
当時の保険セールスは「売ること」しか考えておらず、全くお客様の立場に立ったセールスではないことに憤りを感じていました。そういった時期にアメリカでは、顧客の立場に立ったセールスであるFP(ファイナンシャル・プランニング)が広まっているということを知りまして、これは日本に必要だし、これを導入すれば日本のセールスの概念が変わるだろうと思い、「東京ファイナンシャルプランナーズ」を設立しました。
---FPは旧来の日本の保険セールスと、具体的に何が違ったのですか?
それまでは、商品をお客様に押し付けていたんです。本当にお客様に最適な商品を提案できていない、本当は他の商品が最適かもしれないのにノルマのために押し付けるような形になっていました。その点、FPというのは常に中立で、いくつかある商品の中で最適な商品をお客様に提案する、という形なんですね。私が日生時代に教育部門にいたこともあり、色々な企業でセミナー活動を行うなど、まずはFPを理解してもらう、啓蒙していくところから始めました。
---上場に至ったのは?
平成12年10月です。ナスダック市場(現・ヘラクレス)に上場しました。
---設立から約10年で上場するのは、一般的に見るとかなり早いほうですよね。
私にとっては上場することよりも、FPの存在を社会的に認知させることの方が重要でした。FPの考え方が広まることによって一般生活者、国民の方々が豊かになることが大事。我々がリーディングカンパニーとなってそれをやっていこう、という考えでした。業績をしっかり上げて、FPとしての存在意義を確立させる、そういう思いが非常に強かったですね。
---上場のメリットというのも考えられましたよね。それはなんだったんですか?
会社を立ち上げた当初は、FPの存在自体が日本では全く認知されていませんでした。それが上場によって、社会的な価値は高まったと思います。また、上場を機に導入していただける機会が増えまして、加速度的に広がっていったことは非常に効果があったと思います。それによって消費者が正しい目を養えるようになったこともあり、その点でも良かったと思います。きちんと消費者の利益として還元できたと思いますので。
---組織の運営や急速に拡大することは大変ではなかったですか?
企業としての経営理念や、FPがどうあるべきかというのは、全社的に浸透するように常に意識していました。それと、大変だったのは人材ですね。上場していく中で自然といい人材が集まった部分もありますので、それも上場のメリットとしてありますが、やはり企業が拡大していくには人材戦略はかなり重要なこと。そこはしっかりと考えておくべきでしょうね。
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