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[ベンチャー支援]
保険業界を変革することが目標 利口にならずに“魂の叫び”を持て!

株式会社アドバンスクリエイト/代表取締役/濱田佳治様 「近年上場企業経営者紹介-21世紀型企業家-」の第5回は、顧客が自分にあった保険を自由に選べるスタイルで保険業界に新風を吹き込む、株式会社アドバンスクリエイトの 代表取締役社長・ 濱田 佳治様にお話をお聞きしました。

厳格な父からの影響が今の自分を支えるベース----まずは、生い立ちなどをお聞かせください。

父、祖父共に公務員という家庭に、昭和37年に生まれました。父親は質素倹約を旨とする人でした。うちは府営住宅でお風呂もないようなところでしたけど、友達の家にはお風呂はもちろん、プールがあるところもありました。それに当時人気だったオモチャをたくさん持っている友達もいました。「なんでこんなに差があるんだ」と思って親父に聞いたら、「中小企業の社長の息子だからだ」と言われたことがあり、社長になったらお金持ちになれるんだと幼いながらに漠然と思って、将来は社長になろうと考えたことを覚えています。

---そんなに小さな時から社長になろうと…

いや、中学校、高校とずっと思っていた訳ではないですけどね。一時はミュージシャンを目指したこともあるし、車に走った時もありましたよ。でも、成り上がっていくサクセスストーリーが好きだったし、根本のところでは子供心に思ったことは忘れてなかったのではないでしょうか。


----父親からの影響は大きい?

そうですね。大学受験する時、「塾に行かせてくれ」と言ったら、「それでどれだけ成績が上がるんや」と言われました。じゃ、せめて「参考書が欲しい」と言うと、「教科書があるやろ? 教科書で受験ができないのなら文部省が間違っている」と言われました。だから私は教科書だけで勉強して、大阪府立大学に現役で入りました。それはちょっと自分でも誇りです。でも、親父の言っていたことも、正しいですよね。お金を出すのは最後の手段で、それよりも「知恵を出せ、汗を出せ」と。それは今でも私の大きな教訓です。幼少の頃に教わった『凡事徹底』という言葉が私の座右の銘でもあり、会社の基本姿勢にもなっています。

----それはどのような意味ですか?

当たり前のことは当たり前にできるようになれ、ということ。私にとって、父親は「師」ですね。それに父親が亡くなったのが会社を設立する一年前だったのですが、その時に保険の事業に目覚めたということもあります。父親がいなければ今の僕は絶対にないな、と思います。

----では、具体的にビジネスや、会社の上場などについてお伺いしたいのですが?

就職活動の時には、既に将来は絶対に社長になるという意思が固まっていました。数社内定をもらった中から、一番社長になれる可能性が高そうだった新日本証券を選んで就職しました。2年目から大阪で未上場の企業を上場させる仕事の担当になり、その時に様々な企業のオーナー様方からいろいろと勉強をさせてもらいました。頑張っている企業の“勢い”を肌で感じて、自分が本当にしたいのはこれだなって思いましたね。28歳でメリルリンチへ転職、30歳で独立して事業することを考えて辞めました。

----すぐに起業されたのですか?

実は税理士試験に2科目合格し、2年ほど会計事務所に勤めました。中小企業を知ることも意味があると思ったのと、起業して、もし最悪の場合も実務経験があれば税理士になることができるし、ということで。その間に父が亡くなったんですよ。非常につらかったんですが、その時に保険の大切さが身にしみてわかりました。入院して5ヶ月間闘病した時に、保険があったことにありがたみを感じました。それまでは保険なんて、うっとうしい人が売りにくる、無用なものとしか思っていませんでしたから。

----上場しようと決心されたきっかけは?

最初から上場しようと決めてました。会社を作って上場するか、税理士で生きていくか、どちらかしかないと腹は決めていましたから。

----証券会社で未上場の会社を上場させる仕事をなされていて、未上場の会社の社長と上場会社の社長との根本的に違いは感じられますか?

未上場のままというのは、安定と名誉によって留まっているという感がありますね。ある程度のところまでいっちゃうと、心地よくなっちゃうんですよね。逆に、上場するのは心地よくないんですよ。絶えず人から見られるわけだし、成長企業であれば成長することに不断の努力で臨まないといけないですから、そういう意味で心地良いところに座ることができない。

----気質的に大阪の未上場の会社の社長さんは、「竈の灰まで自分のもの」という方が多いと言われますけど、その辺りはどうですか?

それくらいの気持ちじゃなかったらお金に対して甘くなるんじゃないでしょうか。「竈の灰まで」とは言いませんけど、上場してもある程度そういう気持ちは持っておくべきだと思いますよ。だって、例えばコピーなんかとり放題してるのはこのお金が誰のものかみんな知らないからですよ。中小企業のいいところっていうのは、社長のお金ってわかってるから、そんなことなかなかできない。大きくなるとだんだんルーズになって誰のお金かわからなくなって、とり放題になっちゃうんですよね。だから上場した現在、私はそういう意識、誰のお金かという面は、株主様から預かったお金なんだからと大切に使わなければいけないと言っています。

----上場にあたってエピソードというか、一番苦労したことは?

苦労ですか…、苦労ってないんじゃないですか。上場は目標ではなく、手段ですから。目標を達成するために必要なことに苦痛だとは思わない、当然の試練ってこと。
たぶんイチロー選手も、1000本ノックを苦労とは言わないでしょう。それと同じで、瞬間瞬間で「しんどいなぁ」と思うことはあっても、苦痛だなんて思ったことはないですね。


[略歴]
1962年 大阪府生まれ
1995年10月 株式会社アドバンスクリエイト設立
2002年4月 大阪証券取引所ナスダック・ジャパン市場(現、ニッポン・ニュー・マーケット−「ヘラクレス」)へ株式上場
2003年1月 総合保険サイト「保険市場」オープン
2004年1月 保険ショップ「保険市場(ほけんいちば)」の開設
2004年10月 法人部門の強化を図る目的で「株式会社アドバンスリスクマネジメント」を設立
2005年4月 インシュランスカフェ「保険市場 カフェ・ド・クリエ 神戸ハーバーランド店」開店(コラボレーション店舗の展開)


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