株式会社 M.I.E.コーポレーションがお送りする財界の著名人を対象としたトップリーダーインタビュー

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[トップリーダーに学ぶ ]
未来を切り拓く経営者に必要な先見性と、決断力は意欲的に学ぶ姿勢と経験から生まれる。
メッセージムービー
世界に通用していくためには
専門分野以外の勉強が欠かせない
QUESTION今回のM.I.E.会員に向けてのトップリーダーインタビューとして、山口さんにお話をお伺い致します。最初に、山口さんの生い立ちや、タキロン入社の経緯などを教えていただいてよろしいですか?

----山口
 私は兵庫県明石の生まれで、神戸育ちです。高校は旧制ですが、大学は新制で、京都に行きました。専攻は、今で言うと工学部の高分子。当時は戦後間もない時で、もしまた戦争が起きたとしても技術系のことをやっていれば最前線に行かなくてもすむだろうなどと冗談を友人と交わしながら理科系を選んだように思います(笑)。学問をすることは嫌いではなく、手当たり次第にいろいろ勉強していましたけどね。

QUESTION大学を卒業後、タキロンの前身の会社に入られたんですね
----山口
 滝川セルロイド(株式会社)に行っていた先輩から指名されたんです。大学の研究室の教授からは「3年辛抱して頑張りなさい。それでどうしても合わないと思ったら研究室に戻ってきなさい。」と言われていました。それで会社に入って、網干工場の研究室で塩化ビニールの製品化に関する研究などに関わりました。結局、会社の水が合ったから、大学に戻ることはありませんでしたね(笑)。

QUESTION研究室勤務の時代から海外によく行かれてたんですか?
----山口
 いえいえ。海外に行くようになったのはずっと後ですよ。時代的になかなか海外に行けるような時じゃなかったですから。でもその頃から、海外から専門雑誌や資料を取り寄せたり、サンプルを購入したりして、研究資料は作っていました。エアメールのやりとりなどは頻繁にしていました。研究室の仕事の後は、工程管理の業務や工場現場の業務に関わり、その後、アメリカの事業所の初代駐在員になりました。といっても、何をやるのも自分ひとりですよ。技術関連の資料収集、市場調査、製品販売など、全部ひとりでやっていました。

QUESTION海外進出の突破口となる役割を担っていらっしゃったんですね
----山口
 格好よく言えばそうなりますけど、実際は外貨制限があるから、たくさんの人を送れるわけはないんですよ。でも自分が望んで行ったわけですから、頑張りましたよ。その後、NYにもいましたし、タキロンUKでイギリスに行ったし、海外で随分仕事をしました。

QUESTIONそれら海外での経験は、後に経営をするとなった時に力になりましたか?
----山口
 海外でのことだけではないですが、仕事を通して身につけてきたことは、いろんな意味で役に立ったと思います。経営者となって、世界中の優良企業のリーダーと数多く接してきた経験から言わせてもらうと、そのようなリーダーの方々は、自分の会社の関わることについて、非常によく知ってる、たくさんの知識を持っているものなのです。技術・営業という出身に関係なく、みんなすごく勉強されていますよ。私も仕事の上でいろんな経験をしたことだけでなく、その立場やその時々で必要なことを勉強してきました。転勤で営業関連の業務に携わるようになった時には、損益計算書の読み方や経営学についての勉強も自分でお金を出して学びに行ったりしましたよ。

QUESTIONレベルの高い経営トップになるには、オールラウンドなエリート教育が必要なんですね。
----山口
 自分は技術系だからとか、技術系じゃないからわからないとか言っているのは、勉強していないってことですよ。それと、ソニーの金田さん(注:本インタビューの第1回に登場)がよく仰っていることで、単にビジネスに関する知識だけでなく、音楽や歴史などの教養が深いことも、これからのビジネスのリーダーとして世界的に通用していくためには欠かせないことだ、ということも全く同感ですね。

PROFILE
1930年生まれ、京都大学工学部卒業
1973年  タキロン株式会社として初めての英国現地法人(TAKIRON U.K. LTD)の設立に尽力し、すぐれた国際性を買われ同社の初代マネージングディレクターに就任。6年間に渡りその経営の任に当たり、その間第一次オイルショックや英国炭鉱労働者の長期ストに起因する電力供給制限による操業短縮等、幾多の難関を乗り越え経営を軌道に乗せることに成功
1985年 タキロン株式会社社長就任。生産性の向上、商品開発の促進、エリアマーケティング体制の強化等、経営諸施策を断行し業績の向上に大きく貢献。新規分野への進出にも意欲的に行い、電子材料部門のLED表示板やメディカル部門の骨折合材の事業化に成功し、現在ではタキロンの売上利益の一翼を担う商品に成長
1996年 同社会長、2000年同社相談役に就任、現在に至る


[備考]
1996年
1992年
2002年
藍綬褒章を受章 元 関西日英協会 副会長、元 関西化学工業協会 幹事
CLWB HIRAETH 初代会長 現在名誉会長
大阪YMCA 賛助会会長
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