----本日はお忙しいところ、どうもありがとうございます。まず簡単に長江さんの生い立ちというか、バックグラウンドとなっていることについて伺いたいのですが?
私は大阪市此花区で商売をしている家庭に生まれました。でも、あんまり商売がうまくいっていなかったので、子供の頃から商売することはたくさんの人に迷惑をかけるものなんだなぁという風に思っていました。子供って、社長の家=お金持ちだと思っていますけど、全然そんなことなかったですから。だから商売している家の息子としていい思いはしていないですね。
---そんな苦労を知りながらも、今、ご自身が経営者になっていらっしゃるんですね。
何か人に影響を与える仕事をしたいということは子供の頃から考えていました。それが今に繋がっているんじゃないでしょうか。子供の時は、学校の先生のような仕事をしたいなぁと思っていましたけどね。
----高校卒業して、起業されるまでのいきさつをお聞かせください。
一言で言ってしまえば、成り行きなんですけどね(笑)。高校2年の頃に格闘技を始めて、格闘技に結構ハマった高校生活を過ごしていました。大学受験を控えたある時、大学に行く目的がないことに気付いたんです。とりあえず行くものだと思って普通に勉強していましたけど、ふと考えた時に、何の為に受験勉強をするのか、行ってどうなるのかなって、初めて疑問に思った。いい大学に入って、大企業に入っていくことが成功とは思わなかったので、結論は学歴なんて邪魔だ、と思ったんです。人並み程度に食べていけるようになら、何をやってもやっていけるという根拠のない自信がありましたからね。卒業後は、いわゆる今でいうフリーター状態。アルバイトしながら格闘技を続けていました。そんな時、いとこの子供がいじめにあって悩んでいるので、自信をつけるために格闘技を教えて欲しいと言われて、個人的に家で教え始めたんです。当時、いじめが大きな社会問題で、近所でも他にもいじめられっ子もいて、10人ほどの子供を集めて団地の集会所で教えることになった。1人も10人も一緒だっていう感覚で。1年後には、生徒が100人に増えていたんです。でも、ある時、生徒が「自分は何流空手で何級ですか?」って質問にきて、それで正式に『正心館』と掲げたんです。それが3か所、4か所、5か所と増えていって、だんだんアルバイトする時間がなくなり、気が付いたら道場の館長になっていました(笑)。
----それがネクストジャパンの前身なんですか?
今とはちょっと違いますけどね。最終的に25歳の時に、道場が50ヶ所くらい、生徒は総勢3000人ほどになっていました。500人くらいまでは私1人で教えていましたが、その規模になるとさすがにそうもいかない。常設道場もでき、住み込みの弟子もいました。そうなると彼らを養っていかないといけないという必要にせまられて、何か商売をしなければということで、格闘技の専門家の自分たちにできることは何かと考えて、消去法で残ったのが武道具の販売だったんです。海外、東南アジアで委託工場を見つけて空手着とかグローブとかサンドバックを作って日本で販売し始めました。
----それは成功されたんですか?
すぐにはうまくいかなかったんですが、結果として2年後にトップブランドになりました。格闘技用品業界は体質の古い世界で、商品の選択の余地もないし、値段でもどこでも同じようなもので、使う人にとっては本当に不親切だった。だから自分たちで作ってしまえというのもあったんですけど、色や素材やサイズのバリエーションをを揃え、東南アジアで作ったものを通信販売で買えるようにしたんです。商品を選べる楽しさがあり、安くて、簡単に買えるとなれば、当然売れますよ。当たり前のことを、当たり前のようにしただけの話なんですけどね。それくらい怠けた業界だったんですよ、マーケットが小さすぎて、侵さず侵されずという感じのね。
----「ネクストジャパン」の社名に込められた意味はどのようなことなのですか?
最初は道場経営の副業でスタートした格闘技用具販売でしたが、13年前に会社にする時、それだけで終わる必要もないと思っていました。かといって、具体的に何をやっていくかはわからない。だからどんなことをしても通用する名前で、自分の思い込めた社名にしようかと考え、「ネクストジャパン」にしました。
----その思いとは、次世代の日本を作る、というような感じですか?
そうですね。「未来の日本を創造するのは、私たち一人ひとり」というイメージです。
----上場についてはいつごろから意識されたのですか?
会社を作った時点で上場しようと決めていたんです。意味は全然わからなかったですけどね(笑)。起業して最初の頃、取引のあった町工場で、
『兄ちゃん、とりあえず会社を作ったんなら、上場させんとあかんで』って言われて…(笑)
『そうですね、とりあえず上場せんとあかんでしょね!』
『いつまでに』
『10年くらいかなぁ』
『おまえのとこ、年商いくらくらいあるねん?』
『一億くらいですかね』
『おまえ、上場って何かわかってる?』
『いや、全然分かってません…』
って、そんな話をしたのが最初じゃないですかね(笑)。感覚的には企業は社会の公器ならば、普通は上場するんだろうな、と思っていました。
----上場するには面倒なことも多いですものね。
そういう以前のレベルでしたね(笑)。それからいろいろわかってくると、大変なことやなぁとは思いましたが、絶対上場しようと確信的に考えるようになりました。当時、私は27、8歳、上場できれば最年少記録でしたから、「よし、最年少記録作るぞ!」って思ってました。結局は結局は11年かかりましたけど…。
----何が一番大変でしたか?
アイデアは素晴らしいことでも、なかなかきちんとビジネスとして成り立たなかったことです。今けっこうフリーペーパーがブームですけど、こんなになる前に私はそれに注目して、フリーペーパーを立ち上げたりもしていました。うまくいかなかったんですけど…。
ビジネスモデルはいいんだけど、体制やオペレーションが整わない。小さな会社にありがちなパターンです。そんなこんなでいろいろな新規事業を展開して、うまくいかなかったこともあるし、危機に瀕したこともあります。そんな時に始めた会員制複合レジャー施設「JJ
CLUB 100」事業が軌道に乗り、組織としても整ってきて、上場をすることができました。
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